地元暮らしをちょっぴり楽しくするようなオリジナル情報なら、習志野の地域情報サイト「まいぷれ」!
文字サイズ文字を小さくする文字を大きくする

習志野の地域情報サイト「まいぷれ」

GO!GO! 千葉ジェッツ

石井講祐選手が退団「チームの成長の一部として選手でいられたことが幸せ」

練習生から3P成功率リーグ1位まで成長を遂げた6年間

2019/06/12

千葉県初のプロバスケットボールチーム「千葉ジェッツ」の情報をお届けする千葉ジェッツ公式応援サイトです。どのメディアよりも熱く深い愛情を持って取材記事を更新していきます。
プロ選手契約とは恋愛のようなものだ…

たとえ相思相愛であっても、続かないことがある。
周りから見れば歯がゆくもあり、離れる理由など何もないように思うのだけれど、それでも成就しないこともある。そして、それがなぜかは、当人同士にしかわからない……。

こんなことを書くと、石井講祐選手の退団で心が壊れてしまったのかと思われそうですが、退団について石井選手にお話を伺った後に抱いた、正直な印象です。
3ポイントシュートだけではなく、オフェンスでもディフェンスでもチームのインテンシティをあげてきた石井講祐選手(SG・背番号27)
3ポイントシュートだけではなく、オフェンスでもディフェンスでもチームのインテンシティをあげてきた石井講祐選手(SG・背番号27)
2019年5月30日、衝撃的なニュースが飛び込んできました。
石井講祐選手の退団――。

プロバスケットボール選手を目指して会社員を辞め、地元・船橋に創設されたばかりの千葉ジェッツの門を叩いて練習生として参加。そこからプロ契約をもぎ取り、bjリーグ、NBL、Bリーグと、クラブの歴史とともに成長してきた石井選手。年々プレーの幅を広げ、精度を高め、いまではリーグの中でも第一線のプレーヤーとして活躍するまでになりました。今シーズンはスタメンとして定着し、3ポイント成功率45.2%という驚異的な数字をたたき出して、念願だった「ベスト3P成功率賞」を獲得しました。

それだけに、石井選手の退団はさまざまな憶測を呼びました。
ショックを受けたのはブースターだけではありません。練習生の頃に初めてお会いしてから約6年に渡って見つめ続けてきた私にとっても、とてもショッキングなニュースでした。
発表直後にららぽーとTOKYO-BAYで行われたシーズン報告会に、石井選手が登壇すると聞いて駆けつけました。

シーズン報告会の会場を埋める背番号「27」

シーズン報告会に小野龍猛選手とともに登壇
シーズン報告会に小野龍猛選手とともに登壇
6月2日、ららぽーとTOKYO-BAYの北館1階 中央広場には、たくさんのブースターが集まりました。後ろから見ていると、背番号27を着た方がなんと多いことか。
フライトクルーチアリーダースのSTAR JETSとジャンボくんがオープニングを盛り上げ、キャプテン・小野龍猛選手と副キャプテン・石井講祐選手が登場。トークショーを繰り広げ、シーズンを振り返りました。

会場が一段と盛り上がったのは、大宮宏正選手があのキャラクターに扮した対アルバルク東京戦を煽るムービーが流れたとき。実は石井選手は『名探偵コナン』の大ファン。このムービーの出演はそれが理由ではなかったようですが、「まさか死体役とは聞かされていなくて、セリフも現場で言われた」そうですよ。

イベントの最後に挨拶をするときには、動画を撮影しているブースターの方がたくさん。涙ぐんでいる方もいらっしゃいました。いまのところ、これが最後のイベントかもしれないという石井選手。「チームを離れることになって、メッセージをいただいたり、こうやってイベントに来ていただけたりするのは本当に嬉しいです。感謝の気持ちでいっぱいです」とおっしゃっていました。

「プロの世界なので、純粋に前を向いている」

ブースターの質問に笑顔で答える石井選手
ブースターの質問に笑顔で答える石井選手
イベント終了後にお話をうかがいました。

― 退団は本当にビックリしました。いつ決まったのですか?

発表の前日です。

― あまりに予想外の出来事で、ネット上で嘆きの声や憶測が多く流れていますね。

そうですね。流れてくるので、いくつかは見ています。

― 実のところ、別のチームに行くために辞めるということではないのですね?

違います。他のチームからのオファーがあってということではありません。僕もチームも、残る前提で話をしていたのですが、プロの世界なので、いろんなことが起こるなということです。

― 相思相愛なのに折り合いがつかないのが不思議なのですが、お互いの妥協ポイントが合わなかったということですか?

妥協ポイントや、ちょっとしたコミュニケーションの行き違い、想いが伝わりきれていない、そういう本当に微妙なところの積み重ねが、結果的にこうなったという感じです。

― その交渉の過程で、ご家族やチームメイトには相談されましたか?

そうですね、家族には交渉の過程で、相談というより報告ですが、話していました。

― 奥様は何かおっしゃっていましたか?

いえ、残念がってはいましたけれども、そこは切り替えて、「家族だからどこにでもついて行く」と言ってくれました。地元出身なので、いろんな友達も大丈夫?と連絡をくれました。
いざチームを離れることになってみて、本当に周りの人に支えられて、こんなにたくさんの人に応援されていたんだということを、いい意味で実感しています。本当にそういう人たちへの感謝の気持ちが大きくて、これからもっと頑張らないといけないなという責任感も持っています。だから前を向いて、ほかのチームに決めようという気持ちでいます。

― もう心の整理はついているということですか?

はい。誰が悪いということではなく、そこはもうプロの世界なので、純粋に前を向いています。

― 移籍先はまだ決まっていないんですよね?

はい、全然決まってないです。これからですね。

― いろいろ予想されている方もいらっしゃるみたいです。

そうですよね(笑)。まぁ、ブースターの方はいろいろ予想すると思います。僕もNBAファンで、そういう予想するの楽しいので(笑)

「チームの成長の一部として選手でいられたことが幸せ」

― この6年間振り返って転機になったこと、想い出に残っていることはありますか?

僕の中では全部ですね。練習生から始まって、いろいろなことを受け入れながらやってきたので、各ヘッドコーチのバスケットも勉強になって、そのすべてが自分のバスケットボール選手として、人として成長する糧になっています。しかも6年間で、チームの成長の過程も全部体験できているのは、僕と(小野)龍猛くらいなので、そういう意味では成長の一部としていられたことは幸せだったと思っていますね。1000人くらいのお客さんだったころも体験し、そこから徐々に増えて、満員の会場で試合することも体験できました。そういうチームの成長過程を見ることができたので、今の環境が当たり前じゃない、幸せなところでできているんだっていう実感を持ちながらやっていました。

―bjリーグもNBLもBリーグも体験なさっていますもんね。

はい。リーグも変化し、Bリーグになって変わったという印象もあるし、Bリーグになってからも年々盛り上がってるなという印象もあります。そのバスケット界で、千葉ジェッツというチームの成長の一部として現役でいられたことは………あ、なんか引退するみたいな感じになってますね(笑)

―引退なんて、やめてくださいよ(笑)

ジェッツの成長の一部でプレーヤーとして関われたことは、すごくいいことだったということです。まして地元だったので、応援してくれる人も多かったですし、地元への恩返しの意味も含め、地元の子どもたちのロールモデルになるという役割を果たせたのもよかったと思っています。

―そういう6年間を送れたというのは、プレーヤーとして幸せなことですね。

本当にそうですね。

「信頼関係を築けたことが、僕にとっての大きな財産」

―大野(篤史)ヘッドコーチになったときにガラッと変わられたのが、私は本当に印象に残っています。石井選手にとっても、成長する上ですごく大きかったのではないですか?

はい。シューターとして信頼してくれて、「ドンドン打っていけ」という言葉をもらったり、高いレベルを練習から常に要求されたりして、それに応えるべくやってきたことが自分の成長につながりました。高い基準を求められ続けたことで、成長できたのだと思いますね。大野さんとも、チームメイトとも、スタッフ陣とも信頼関係を築けたことは、僕にとっての大きな財産です。

― ……決してジェッツを嫌いになったりはしないですよね?

はい、そんな恨むとか恨まないとかいう感情はないですよ。そういう感情をモチベーションにという人もいますけど、どっちかっていうと僕は、負の感情をずっと持ち続けるほうが疲れてしまいます。あくまで、バスケット選手として今後の自分のキャリアをよくしていくためのモチベーションでやっていくと思います。

― 移籍で環境がガラッと変わると思いますが、目指すプレーヤー像はありますか?

勝ちたいとかプレーヤーとして成長したいという想いは変わりません。 どこに行ってもやることは変わらないと思っています。次のチームで自分の可能性をさらに増やして、チームの勝利やクラブの発展に貢献できるように、自分の強味をしっかり活かしていきます。

― こういうチームに行きたいという希望はありますか?

初めての移籍なのでまだ戸惑う部分はあるんですが、いろいろ総合的に判断して、自分が成長できる可能性が高く、自分を活かせる、勝ちに貢献できるチームで自分の可能性を広げたいと思っています。

― 上江田勇樹選手は移籍するときに「ブーイングで迎えてほしい」とおっしゃってました。石井選手はいかがですか?

僕はどっちでもいいです(笑)。ブースターの方に任せます。ブーイングでも、歓声でも、無反応でも(笑)

―え、無反応でもいいんですか(笑)、寂しくないですか(笑)

いやいや、無反応でもいいんです(笑)

―リスケさんの “Welcome back~” は期待しちゃいますよね。

ありますかね(笑)

―絶対ありますよ。より大きいですよ。また船アリでお待ちしています。

次なるステージへと歩を進める石井選手の未来にエールを

ファイナルの後の慰労会では「カンパイ!」と乾杯の音頭を。
ファイナルの後の慰労会では「カンパイ!」と乾杯の音頭を。
「カンパカンパカンパ~~イ!!」という乾杯の音頭が有名になりました。
ファイナルの直後に横浜で行われた慰労会で乾杯の音頭を任せられた石井選手は、「普通の乾杯でいきます」と、シンプルな乾杯をしました。来年優勝して、思い切り「カンパカンパカンパ~イ!」と声を張るつもりだと受け止めていたので、それが叶わなくなったことは寂しい限りです。どうしても千葉ジェッツでBリーグチャンピオンに輝いたときにお話をうかがいたかった、その気持ちも捨てきれません。

しかし、6年という時間をともに闘った石井選手とは、いつまでもジェッツファミリーだと信じています。どこのクラブにいても石井選手を応援する気持ちは変わりませんし、ジェッツと対戦したときには取材をしたいと思います。
またクリニックにも引き続き力を入れていくということで、「クリニックの取材に来てくださいよ」とおっしゃってくださいました。また今までとは違った形で、みなさんに石井選手の活躍をお届けできればと思います。

ずっと笑顔の写真にこだわって撮影してきたのをご存じなのでしょうか、何も言わずともインタビューの最後に笑顔で応じてくださいました。石井選手の未来にエールを送りつつ、笑顔のお写真で締めたいと思います。

最後に、ご対応くださった石井選手と千葉ジェッツのフロントスタッフのIさん、そして控え室を提供してくださった ららぽーとTOKYO-BAY のご担当者の方に、心より感謝いたします!
今シーズンの振り返りの記事に、まだまだ石井選手が登場予定ですので、みなさん、お楽しみに。

石井講祐選手にご登場いただいた主な記事